2011年7月13日水曜日

都民ボランティア 16期 その3

7月6日(水)

 今日は、気仙沼の個人宅の清掃作業でした。

 建屋は、壊すか、修理するかを迷っていたということで、ほとんど手付かず、入り口付近を除いて、足の踏み場もない状態でした。

 庭にたまった泥や瓦礫の除去をしたのですが、こちらはボランティアが入って3日目で、ほぼ完了することができました。


 ここで、またトラブルです。

 依頼主の方が、とても寂しそうで、私たちボランティアと話をしたがるのです。私は、「被災者に寄り添う」のがボランティアの務めと思っているので、そのまま話を聞こうとしたのですが、班員の中には、依頼された作業が終わったのだから帰ろうという者もいました。

 こういう調整はリーダーの役割なのでしょうが、難しかったです。


 また、トラブルではないのですが、この家には、べっこう亀の剥製が飾られていました。津波も少しかぶっていて汚れていたのですが、立派なものでした。どうするのか伺うと廃棄ということでもったいないと思ったのですが、もらうこともできず・・・。
べっこうの剥製
(手持ちの写真で、この被災家庭とは別のものです)

都民ボランティア 16期 その2

7月5日(火)

 今日は陸前高田市の某コミュニティセンターの倉庫の清掃作業でした。

 ちょっとした高台の上にあって、ここまで津波が来たとは信じられません。マピオンで見ると、標高14-20mくらいです。でも、津波をかぶってしまい、本館も倉庫も、汚れてしまいました。

 本館は、すでに何回かボランティアなどの人手が入って、きれいになっていて、倉庫が手付かずだったので、その清掃作業でした。

 中身を出して、使えるものはきれいにし、駄目なものは廃棄、その作業と平行して、倉庫の掃除も。

 私たち都民ボランティア9名と中国系の人たち5名の計14名で作業を行ったので、順調に終わりました。

都民ボランティア 16期

 都民ボランティアの16期に参加してきました。10期に続いて2回目です。 http://gore21.blogspot.com/2011/06/blog-post.html

 期間は、7月4日(月)から10日(日)まででした。

7月4日(月) 都庁前を出発し、岩手県一関市室根の拠点(宿泊先、資材倉庫)にバスで移動


都庁前からバスで出発


 前回同様、全体の参加者80名くらいで、4から5名の班に分かれます。
 その班から1名、リーダー(連絡係)という職責の曖昧な人間を一人選ぶのですが、私たちの班では、5名中3名が災害ボランティアが初めて、残りの一人もリーダーはやりたくなさそうだったので、私がリーダーということになりました。


 さて、現地について、早速トラブル発生です。

 宿泊先が3箇所あるのですが、最初に割り当てられたところが人数の割りに狭いということで、多少余裕のある別の拠点に、夜の10時頃、私たちの班のみ移動となりました。私にとっては、移動先が前回と同じ場所だったので、勝手が分かっていて問題なしでしたが、他の人たちは少し大変だったかもしれません。

 2日目以降は、また別に・・・。

2011年6月25日土曜日

足湯(山元町)

6月17日(金)、18日(土)、19日(日)

 宿泊先の七ヶ浜からレンタカーで1時間くらいかけて、山元町に移動し、仮設住宅の集会場をお借りして、足湯を行いました。

 足湯は2回目になります。でも、一回目は小学生一人で、やったと言う感じはなくhttp://gore21.blogspot.com/2011/05/blog-post_8691.html
今回が初めて、という感覚です。


 足湯は、椅子に腰掛けて、足はお湯をはったタライなどの容器に入れていただきます。
 そして、手をもみもみしながら、話を伺います。ほとんど話さない場合もあれば、じっくりいろんな話をしていただく場合もあります。それは、その時々で、どっちが良いとかではなく、そういうものなんだと思います(私も足湯のプロではないので、良く分かっていませんが)。

 そのときのお話、こういう公開の場にどこまで書いてよいのか良く分かりませんが、ちょっと気を使いながら、印象に残ったお話をメモします。自分用のメモでもあるけど、こんなこともあったんだよ~と知って欲しい気持ちもあります。

・津波に流されながら、足を掴まれた時に、けってしまった。

・津波に流された後、屋根の上に必死で這い登って周囲を見ると、まだ水面から顔を出している人がいっぱいいた。でも、波が来ると、その数が少しずつ減っていく。自分のことで精一杯で、助けるなんて・・・。

・(津波の後救出されてから入院していて)退院後、家を見に行ったら、家は流されて何もなくて、でも、人がいっぱい倒れていて。そのままじゃかわいそうだと思ったから、姿勢を直そうとしたら、そのままにしておくように注意されちゃって。

・家も船も網もみんな流されてしまった。でも、9月の秋サケ漁に間に合うように準備している。魚さえとれれば、何とかなる!

・逃げる時に、どっちに逃げるか迷ったんだ。俺は真っ直ぐ行って助かったけど、左に行った人たちは・・・。

・仮設は狭くって(もとの家は、部屋がいっぱいあった方が大勢いました)

・台所が狭くって。流しとガスコンロしかなくて、まな板を置くところがないの。不安定で、切るのに時間がかかって。

・(私がバカだったんだけど、仮設住宅に慣れましたか?ときいてしまったときに)

 慣れるなんて、とんでもない!

 (本当に、つまらない質問だった。ゴメンナサイ)

・旦那の仕事が夜勤の時、仮設のカーテンが薄くて部屋が明るくて眠れないので、押入れで寝ている。


 一週間たったせいか、忘れているなぁ。ぐさって来た話がもっとあったと思うんだけど・・・。

 それと、上に書いたぐらいは大丈夫かなと思うけど、こんなこと書くと、誰のことか分かって、内容的にも、その人に迷惑がかかりそうなことがやっぱりありますね。


 つらい経験は、子供たちもしているはず。でも、あえて聞かないし、話さないし。子供たちは、友達同士でリラックスです。
 子供たちは、遊び場がなくて、暇を持て余しているという印象を受けました。

 こんなことを思い出させてしまって良いのかと思う時もありますが、テレビで被災した人たちの心のケアを取り上げている番組でも、もやもやさせておくよりは、すっきりさせる、ということも効果があるようなので、まあ、いいのかな、と自分を納得させながらの足湯でした。

2011年6月22日水曜日

山元町の被害状況

 山元町のこと、恥ずかしながら、今回のボランティアで行くまでまったく知りませんでした。

 山元町は、宮城県の太平洋側の最南端に位置し、福島県と接しています。海に沿って拡がる面積64.5km2、今年2月末で5,561戸、人口16,695人の町です。

 あまり報道されていませんが、この町も、3月11日の東日本大震災で大きな被害を出しています。

 国土地理院によれば、津波による浸水範囲面積は24km2ですので、38%にも達します。

国土地理院浸水範囲概況図(14)


 人的被害、家屋への被害も大きいです。
6月21日18時現在で、

人的被害
死者 672人(町内での遺体発見数)
 ※うち町民 581人
行方不明者 38人(町外者を除く)

家屋への被害
全壊          2,167棟(うち流出 1,012棟)
大規模半壊 525棟
半壊             461棟
一部損壊     919棟
(足し合わせると4,072棟。世帯数が 5,561戸ですから半数近くが大規模半壊以上、7割以上が被害を受けています)


 これまでに行った、陸前高田市、気仙沼市も酷かったのですが、ここも甚大な被害です。

足湯ボランティア 七ヶ浜第1クール

 3回目のボランティアに行ってきました。

 5月に行った遠野と同じ日本財団ROADプロジェクトです。今回は、宿泊先が宮城県七ヶ浜町になります。

 ボランティアにはこれまで2回行きましたが、あまり被災者とお話する機会がなかったので、足湯をしたいなぁ、場所も少し違うところにいきたいなぁ、と七ヶ浜を選びました。(遠野も都民ボランティアも良いので、また行きたいと思ってます。念のため)

スケジュール

6月16日(木)  事前オリエンテーション(説明など)
         高速バスで仙台へ、レンタカーに乗り換え七ヶ浜に

6月17日(金)   看板作成などの準備
         足湯を行う場所(山元町)へ移動し、設営
         練習後、4人ほど本番
         七ヶ浜に戻る

6月18日(土) 足湯(七ヶ浜・山元町往復)
        
6月19日(日) 足湯(七ヶ浜・山元町往復)

                       レンタカーで仙台、高速バスで帰京



 七ヶ浜では最初ということで小さなトラブルはいろいろあって、そういったことをROADプロジェクト参加者のメーリングリストに投稿したら、批判、と受け取られてしまいました。最初にトラブルはつき物で、長く続けて欲しいからこそ、課題は共有した方が良いと思って投稿したので、私は七ヶ浜に参加してよかったと思っています。なかなか難しいです。

腱を切る人は意外と多い?

 先週、ボランティアで宮城県の方に行ってきました。

 そのときに会った人の中に、二人も、手の腱を切った人がいたのに驚きました。

 二人とも男性、60代かな?、指を伸ばす側(甲側)の腱の断裂です。一人は腱移植の手術をして直していましたが、一人は、3ヶ月も仕事を休めないということで放置と言う決断をし、現在も指が曲がったままでした。

 100人も会っていないはずなのに、意外といるのでしょうか?