2011年5月22日日曜日

足湯

5月18日(水)

 今日は足湯なので、「遠野まごころネット」とは別行動です。

 朝、宿泊先で打合せを行ってから出発しました。

 竹駒駅跡の先で道が南へとカーブしているところから東に向かい、氷上神社近くの和野会館に着きました。

 ここは、学校の体育館などに比べるととても小さな避難所です。それでも、震災当日は300名前後の人びとが夜を越したそうです。座るスペースもなかったのではないでしょうか。

 避難所の人びとに挨拶をして、足湯をすべく準備します。

 大型のガスコンロでお湯を沸かせるようにし、椅子とタライを並べて、足湯のスペースを作ります。

 天気が良いので日陰をつくるためにブルーシートを張ろうとしたのですが、風が強く、たいへんでした。


 足湯って、いろいろな流儀があるのかもしれませんが、私が参加したROADプロジェクトのものは、
・足を10~15分、お湯につけて手をさする
・その間は、1対1で会話をする
・会話の中から、困っていること、ニーズを拾う。
ということをします。

 なぜ、災害ボランティアが足湯をするかというと、
・足湯は専門性がなくても、誰にでもできる
・老若男女関係なく、参加できる
・主体は被災者で、足湯をする側は「聴く」
ということからだそうです。

そして、足湯をすることで
 ・寄り添い(心身ともにリラックスしてもらう)
 ・つぶやきを聴く(会話の中からニーズを拾う)
 ・橋渡し(「つぶやき」を専門家や現地の団体につなぐ)
 ・居場所づくり(人が集まりやすい場所を作る)
ということを目的にします。


 この日いらっしゃったのは、おばあちゃん数名と小学生の女の子10名くらい、他に男性が2名くらいでした。ボランティアが10名だったので、ボランティア一人で、一人か二人の足湯をしました。

 私は、お湯を沸かすなどの裏方中心で、小学生の女の子一人の足湯をしました。緊張してしまって、正直、もう少し、慣れが必要でしたね。

 でも、「居場所(人が集まりやすい場所)を作る」ということはできたかな。

がれき除去

5月16日(月)、17日(火)

 この2日間、陸前高田市米崎地区の畑や水田のがれき除去をしました。作業風景の写真はありませんが、途中までの写真をブログにアップしています。

 私たちは、「遠野まごころネット」の一員として行動したので、毎朝7:30から遠野市社会福祉センターの前で行われた朝礼に参加します。

 ここで、また現地に到着してから、グループ分けとリーダーの紹介や注意事項を聞きます。

 注意事項は、例えば、

○安全靴を履いていても、床が抜けて釘の上に落ちれば刺さるし、靴の横が無防備なので、決して安全ではない、油断しないように。

○被災地の泥の中は、破傷風など病原菌の宝庫。転ばない、手や足でこするようにかき集めるようなことはしないなど、ケガにはくれぐれも注意し、小さな傷でも報告するように。

○写真について
 ・阪神淡路大地震では、石を投げられて死んだ記者もいる。
 ・被災地はさえぎるものがなく、360度、周囲から被災者などに見られている。
 ・ここは観光地ではなく、君たちは観光客ではない。
 ・被災地でバスを降りたら、原則、写真撮影禁止。
   (ボランティア休暇などで来ていて、
    会社に報告義務がある人は要相談)

『3つのあ』
 ・あわてない
 ・あせらない
 ・あきらめない

ここには3つの坂がある
 ・上り坂
 ・下り坂
 ・まさか

 これらの注意事項をきいて、気合を入れて、バスに分乗し、いざ被災地へ。


  グーグルの地図です。マークの入れ方とかが良く分からないので、分かりにくいと思いますが、とりあえず、こんな感じで我慢してください。
 遠野市からは、地図の左上から陸前高田に入っていきます。主な道路のがれきは除去されていて、普通に自動車が走れるようになっていました。

 下の写真、場所がどこか忘れましたが、海から3km以上離れた竹駒の駅は流失で、線路や駅舎がわずかに残るばかりでした。また、18日には、ここより上流側で大勢の人が並んで、杖のようなものを手に何かを探している様子が見えました。まだ遺体の探索が終わっていないようでした。

 

 340号沿いに海に出て左折して45号を東に向かいます。でも、地図に書いてある「しまむら」は、なかったような???


 道路沿いにはがれきがひろがり、ひしゃげた自動車が並べられています。

 ここから米崎中の北側を通って右折、地図で丸く囲んだ辺りの電気工事の会社の敷地に乗ってきた小型バスを駐車。靴を安全靴や長靴に履き替えて、準備完了です。

 帰宅後、地図をみると、ここは標高20mのすぐ上になります。でも、そのすぐ下の、恐らく水田だったところの真ん中に家の2階部分と屋根があって、がれきも散乱していたので、津波は標高20m近くまで迫ったようです。
 海をかなり見下ろしている感じだったので、地震のとき自分がここにいたとして、津波が来るかもと逃げたか、というと、自信がありません。

 ここから下は、道路や一部の田畑などがれきを除去されたところを除けば、家の一部、変形した自動車などが散乱し、まともな形の家はなく、津波の威力をまざまざと見せ付けられます。

 ところが、すぐ横にはりんご畑がひろがり、きれいな花を咲かせていて、もちろん、家屋もきれいなまま。今、自分の立っているところが人生の境目になっていて、とても複雑な気持ちでした。


 私たちボランティアは、ここでいくつかのグループに別れて、田畑に入っていきます。

 田畑には、自動車、冷蔵庫などの電気製品や家具、柱、壁や天井・床、ガラス、牡蠣やムール貝、そしてヘドロなど、様々なものが散乱しています。牡蠣やムール貝の近くでは、強烈な臭いがあります。

 これらの中の人手で動かせるものを少しずつ集めて、路肩に集め、いつか、重機で片付けるということでした。

 散乱しているものの中には、写真、手紙、教科書やノート、通帳などの貴重品や思い出の品も数多く、これらの所有者が無事であることを祈りながら、出来るだけ回収しました。


2011年5月20日金曜日

足湯ボランティア 遠野第2クール

5月15日から19日朝まで、日本財団ROADプロジェクト足湯ボランティア【遠野】に参加しました。

 右手が大丈夫かな、と心配だったけど、これは問題ありませんでした。

 30名の参加者の中には、台湾から日本に留学中の男女2名、カナダ留学中の日本人学生と中国駐在の日本人各一名がいて国際的です。

 日程は、
15日(日)朝    集合
      午前中 簡単な説明など
      午後   岩手県遠野市にバスで移動

16日(月)~18日(水) 活動日
 私たち足湯ボランティアの30名は3つのグループに分かれ、活動日3日間のうち、2日は「遠野まごころネット」の一員として、がれき除去などのボランティア、1日だけ、タイトルの足湯を行いました。

 遠野まごころネットは、東日本大震災で被災した沿岸部の人びとを支援するために、遠野市民を中心としてけっせいされたボランティア集団です。そのネットの一員となるので、他のグループや個人の人たちと行動をともにします。

 遠野市から沿岸部には、いくつもの道があって、釜石市や陸前高田市など沿岸部の様々な場所に行くのに便利なのです。

 ここには多くのボランティアが来ているので、被災地からの要請とボランティアとが調整されて、私たちは、当日の朝、どこに行って何をするのか、教えていただきます。

<私のグループ>
16日(月)、17日(火) 陸前高田市米崎地区で、田畑の「がれき除去」
18日(水)        陸前高田市和野会館(避難所)で、足湯


18日(水)   夜行バスで東京へ出発
19日(木)朝 東京着



 写真は、微妙な問題のようです。被災地でバスを降りてからは、写真撮影は原則禁止になりました。ということで、私たちの活動中の写真は、残念ながらありません。

 16、17日のがれき除去のとき、ボランティアの数は100名前後いましたから、この半分の人が写真を撮ったとしても、50名、これだけの数のボランティアが休憩時間などにいっせいに写真を撮っていたら、この人たち、何しに来たの?という批判が生まれるだろうし、被災地の人びとがどう感じるか、ということを考えると、写真の原則禁止も納得です。


 活動については、また別に書きます。
 

2011年5月8日日曜日

体力測定

5月8日(日)

   腱の断裂から1年と5日
   手術から353日

 リハビリも自主リハビリだけで医者に行っていないので、右手の握力を測っていない。手術からもうすぐ1年ということで、握力がどのくらいか知りたくて、体力測定に行った。

 右手の握力、左手に追いついたかなと期待していたのに、
   右30.8kg,
   左33.0kg,
と右手はやっと30を越えただけで、左に届かなかった。ちょっとショックだった。

 握力をつけようと少し頑張って筋トレをするとバネ指とか心配だけど、気長に頑張ろう!


 ついでに、体脂肪率。家の体重計で測ると、だいたい8%~14%くらいで、今朝も14%だった。

 ところが、今日の体力測定のときの測定では20%。全国平均が16%。

 僕はBMIが21とやせ型のはずなのに、こっちも想定外の数字だった。測定器の影響かな?