2011年5月22日日曜日

がれき除去

5月16日(月)、17日(火)

 この2日間、陸前高田市米崎地区の畑や水田のがれき除去をしました。作業風景の写真はありませんが、途中までの写真をブログにアップしています。

 私たちは、「遠野まごころネット」の一員として行動したので、毎朝7:30から遠野市社会福祉センターの前で行われた朝礼に参加します。

 ここで、また現地に到着してから、グループ分けとリーダーの紹介や注意事項を聞きます。

 注意事項は、例えば、

○安全靴を履いていても、床が抜けて釘の上に落ちれば刺さるし、靴の横が無防備なので、決して安全ではない、油断しないように。

○被災地の泥の中は、破傷風など病原菌の宝庫。転ばない、手や足でこするようにかき集めるようなことはしないなど、ケガにはくれぐれも注意し、小さな傷でも報告するように。

○写真について
 ・阪神淡路大地震では、石を投げられて死んだ記者もいる。
 ・被災地はさえぎるものがなく、360度、周囲から被災者などに見られている。
 ・ここは観光地ではなく、君たちは観光客ではない。
 ・被災地でバスを降りたら、原則、写真撮影禁止。
   (ボランティア休暇などで来ていて、
    会社に報告義務がある人は要相談)

『3つのあ』
 ・あわてない
 ・あせらない
 ・あきらめない

ここには3つの坂がある
 ・上り坂
 ・下り坂
 ・まさか

 これらの注意事項をきいて、気合を入れて、バスに分乗し、いざ被災地へ。


  グーグルの地図です。マークの入れ方とかが良く分からないので、分かりにくいと思いますが、とりあえず、こんな感じで我慢してください。
 遠野市からは、地図の左上から陸前高田に入っていきます。主な道路のがれきは除去されていて、普通に自動車が走れるようになっていました。

 下の写真、場所がどこか忘れましたが、海から3km以上離れた竹駒の駅は流失で、線路や駅舎がわずかに残るばかりでした。また、18日には、ここより上流側で大勢の人が並んで、杖のようなものを手に何かを探している様子が見えました。まだ遺体の探索が終わっていないようでした。

 

 340号沿いに海に出て左折して45号を東に向かいます。でも、地図に書いてある「しまむら」は、なかったような???


 道路沿いにはがれきがひろがり、ひしゃげた自動車が並べられています。

 ここから米崎中の北側を通って右折、地図で丸く囲んだ辺りの電気工事の会社の敷地に乗ってきた小型バスを駐車。靴を安全靴や長靴に履き替えて、準備完了です。

 帰宅後、地図をみると、ここは標高20mのすぐ上になります。でも、そのすぐ下の、恐らく水田だったところの真ん中に家の2階部分と屋根があって、がれきも散乱していたので、津波は標高20m近くまで迫ったようです。
 海をかなり見下ろしている感じだったので、地震のとき自分がここにいたとして、津波が来るかもと逃げたか、というと、自信がありません。

 ここから下は、道路や一部の田畑などがれきを除去されたところを除けば、家の一部、変形した自動車などが散乱し、まともな形の家はなく、津波の威力をまざまざと見せ付けられます。

 ところが、すぐ横にはりんご畑がひろがり、きれいな花を咲かせていて、もちろん、家屋もきれいなまま。今、自分の立っているところが人生の境目になっていて、とても複雑な気持ちでした。


 私たちボランティアは、ここでいくつかのグループに別れて、田畑に入っていきます。

 田畑には、自動車、冷蔵庫などの電気製品や家具、柱、壁や天井・床、ガラス、牡蠣やムール貝、そしてヘドロなど、様々なものが散乱しています。牡蠣やムール貝の近くでは、強烈な臭いがあります。

 これらの中の人手で動かせるものを少しずつ集めて、路肩に集め、いつか、重機で片付けるということでした。

 散乱しているものの中には、写真、手紙、教科書やノート、通帳などの貴重品や思い出の品も数多く、これらの所有者が無事であることを祈りながら、出来るだけ回収しました。


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