2011年6月25日土曜日

足湯(山元町)

6月17日(金)、18日(土)、19日(日)

 宿泊先の七ヶ浜からレンタカーで1時間くらいかけて、山元町に移動し、仮設住宅の集会場をお借りして、足湯を行いました。

 足湯は2回目になります。でも、一回目は小学生一人で、やったと言う感じはなくhttp://gore21.blogspot.com/2011/05/blog-post_8691.html
今回が初めて、という感覚です。


 足湯は、椅子に腰掛けて、足はお湯をはったタライなどの容器に入れていただきます。
 そして、手をもみもみしながら、話を伺います。ほとんど話さない場合もあれば、じっくりいろんな話をしていただく場合もあります。それは、その時々で、どっちが良いとかではなく、そういうものなんだと思います(私も足湯のプロではないので、良く分かっていませんが)。

 そのときのお話、こういう公開の場にどこまで書いてよいのか良く分かりませんが、ちょっと気を使いながら、印象に残ったお話をメモします。自分用のメモでもあるけど、こんなこともあったんだよ~と知って欲しい気持ちもあります。

・津波に流されながら、足を掴まれた時に、けってしまった。

・津波に流された後、屋根の上に必死で這い登って周囲を見ると、まだ水面から顔を出している人がいっぱいいた。でも、波が来ると、その数が少しずつ減っていく。自分のことで精一杯で、助けるなんて・・・。

・(津波の後救出されてから入院していて)退院後、家を見に行ったら、家は流されて何もなくて、でも、人がいっぱい倒れていて。そのままじゃかわいそうだと思ったから、姿勢を直そうとしたら、そのままにしておくように注意されちゃって。

・家も船も網もみんな流されてしまった。でも、9月の秋サケ漁に間に合うように準備している。魚さえとれれば、何とかなる!

・逃げる時に、どっちに逃げるか迷ったんだ。俺は真っ直ぐ行って助かったけど、左に行った人たちは・・・。

・仮設は狭くって(もとの家は、部屋がいっぱいあった方が大勢いました)

・台所が狭くって。流しとガスコンロしかなくて、まな板を置くところがないの。不安定で、切るのに時間がかかって。

・(私がバカだったんだけど、仮設住宅に慣れましたか?ときいてしまったときに)

 慣れるなんて、とんでもない!

 (本当に、つまらない質問だった。ゴメンナサイ)

・旦那の仕事が夜勤の時、仮設のカーテンが薄くて部屋が明るくて眠れないので、押入れで寝ている。


 一週間たったせいか、忘れているなぁ。ぐさって来た話がもっとあったと思うんだけど・・・。

 それと、上に書いたぐらいは大丈夫かなと思うけど、こんなこと書くと、誰のことか分かって、内容的にも、その人に迷惑がかかりそうなことがやっぱりありますね。


 つらい経験は、子供たちもしているはず。でも、あえて聞かないし、話さないし。子供たちは、友達同士でリラックスです。
 子供たちは、遊び場がなくて、暇を持て余しているという印象を受けました。

 こんなことを思い出させてしまって良いのかと思う時もありますが、テレビで被災した人たちの心のケアを取り上げている番組でも、もやもやさせておくよりは、すっきりさせる、ということも効果があるようなので、まあ、いいのかな、と自分を納得させながらの足湯でした。

2011年6月22日水曜日

山元町の被害状況

 山元町のこと、恥ずかしながら、今回のボランティアで行くまでまったく知りませんでした。

 山元町は、宮城県の太平洋側の最南端に位置し、福島県と接しています。海に沿って拡がる面積64.5km2、今年2月末で5,561戸、人口16,695人の町です。

 あまり報道されていませんが、この町も、3月11日の東日本大震災で大きな被害を出しています。

 国土地理院によれば、津波による浸水範囲面積は24km2ですので、38%にも達します。

国土地理院浸水範囲概況図(14)


 人的被害、家屋への被害も大きいです。
6月21日18時現在で、

人的被害
死者 672人(町内での遺体発見数)
 ※うち町民 581人
行方不明者 38人(町外者を除く)

家屋への被害
全壊          2,167棟(うち流出 1,012棟)
大規模半壊 525棟
半壊             461棟
一部損壊     919棟
(足し合わせると4,072棟。世帯数が 5,561戸ですから半数近くが大規模半壊以上、7割以上が被害を受けています)


 これまでに行った、陸前高田市、気仙沼市も酷かったのですが、ここも甚大な被害です。

足湯ボランティア 七ヶ浜第1クール

 3回目のボランティアに行ってきました。

 5月に行った遠野と同じ日本財団ROADプロジェクトです。今回は、宿泊先が宮城県七ヶ浜町になります。

 ボランティアにはこれまで2回行きましたが、あまり被災者とお話する機会がなかったので、足湯をしたいなぁ、場所も少し違うところにいきたいなぁ、と七ヶ浜を選びました。(遠野も都民ボランティアも良いので、また行きたいと思ってます。念のため)

スケジュール

6月16日(木)  事前オリエンテーション(説明など)
         高速バスで仙台へ、レンタカーに乗り換え七ヶ浜に

6月17日(金)   看板作成などの準備
         足湯を行う場所(山元町)へ移動し、設営
         練習後、4人ほど本番
         七ヶ浜に戻る

6月18日(土) 足湯(七ヶ浜・山元町往復)
        
6月19日(日) 足湯(七ヶ浜・山元町往復)

                       レンタカーで仙台、高速バスで帰京



 七ヶ浜では最初ということで小さなトラブルはいろいろあって、そういったことをROADプロジェクト参加者のメーリングリストに投稿したら、批判、と受け取られてしまいました。最初にトラブルはつき物で、長く続けて欲しいからこそ、課題は共有した方が良いと思って投稿したので、私は七ヶ浜に参加してよかったと思っています。なかなか難しいです。

腱を切る人は意外と多い?

 先週、ボランティアで宮城県の方に行ってきました。

 そのときに会った人の中に、二人も、手の腱を切った人がいたのに驚きました。

 二人とも男性、60代かな?、指を伸ばす側(甲側)の腱の断裂です。一人は腱移植の手術をして直していましたが、一人は、3ヶ月も仕事を休めないということで放置と言う決断をし、現在も指が曲がったままでした。

 100人も会っていないはずなのに、意外といるのでしょうか?

 

2011年6月12日日曜日

頑張れ!松坂大輔

 アメリカの野球のメジャーリーグに所属する投手(なんて説明しなくても分かるかもしれないけど、このブログに登場するのは唐突でしょ!)松坂大輔選手が、去る6月10日に右ひじ靭帯断裂で、腱を移植する手術を受けました。

 どこが同じで、どこが違うのか、良く分からないですが、私が腱を断裂して腱を移植して、というのと似ていて、親近感を感じています。

 手術後のインタビューで、「リハビリを頑張る」というようなことも言っていたし。

 ブログやツイッターがないみたいで報道でしか経過をフォローできないようですが、リハビリに頑張っている様子は、私のような類似の患者の励みになるし、追いかけたいな・・・。また、現役復帰も果たして欲しい!

 元々は、特に関心のある選手だったわけではないのですが、応援します!

2011年6月7日火曜日

違和感

 先週の都民ボランティア活動中、新聞、テレビをまともには見ていないので、いろいろ勘違いや誤解もあるのかもしれないし、何にも分かってないお前が生意気だ、僭越だ、ということでしょうが、やっぱり、これは触れたい。

 先週、国会で内閣不信任案が提出され、否決されるというドタバタがありました。

 こんなことをやっている時なのでしょうか?

 家に帰って新聞(国内の代表的な一般紙)を見ても、もともとその新聞は民主党政権に批判的だからでしょうが、この内閣不信任案の提出にそれほど批判的な論調ではありませんでした。

 (この1紙しか見ていないので、他が分からないけど、こんなことのチェックのために他紙を見る気もしないし)

 確かに、菅政権は酷いです。ミスをいっぱいしています。でも、そのときに、より有効な選択肢を提示せずに、後から批判するだけなら簡単です。

 政治家も酷いが、マスコミも酷すぎます。

都民ボランティア 10期

5月29日(日)~6月4日(土)

 都民ボランティアに参加してきました。これは、東京都が実施している事業で、東日本大震災の被災地に東京都在住、在勤などのボランティアを派遣しています。4月初めから開始しているみたいで、私たちで10期でした。参加者にもリピーターが多いです。

 被災地での写真撮影は禁止、また、宿泊先や活動地の詳細をブログやツイッターで公表してはいけない、ということで、ブログ的には若干やりにくいなあ。被災地で見てきたこと、経験してきたこと、私たちの活動をいろんな人たちに伝えることは重要だよ、ということは皆わかっているのに矛盾があるけど、閲覧件数のとても少ないこのブログで喧嘩を売っても意味がないので、一応ルール遵守でいきます。

 参加者は、ドタキャンもいて最終的な人数を私は分かりませんが、80名強くらい。女性が3割くらい。年齢は、18歳以上、70歳くらいまでかな、外観じゃよく分からないけど。

 参加者は、4~5人の班に分かれて、それぞれのグループにレンタカーが与えられて、それぞれ別々に行動します。もちろん、いくつかの班が一緒になることもあります。

 以下は、私の属した班の日程です。

5月25日(水)夕方 参加者対象の説明会

5月29日(日)    岩手県一関市室根の拠点(宿泊先、資材倉庫)にバスで移動

都庁前から雨の出発

5月30日(月)    台風接近で風雨が強く、拠点で待機
 午前中に陸前高田市で被災した方のお話を聞く機会がありました。
 そのほかの時間は、部屋や倉庫の整理清掃整頓など。

5月31日(火)    気仙沼市の個人宅周辺の清掃
 近くの水産物倉庫からメカブなどの海草が大量に流れてきていて、それが腐り始めて、ハエが大量に発生、臭い、ということで、除去しました。

6月1日(水)     一関市内の避難所で炊き出し

6月2日(木)     陸前高田市内、個人宅周辺のがれき除去

6月3日(金)     陸前高田市内の海水浴場の砂浜のがれき除去

6月4日(土)     バスで都内に帰還、解散

都庁で解散の挨拶



 右手なんですが、気仙沼での活動が、大きなスコップや園芸用の小さなスコップ、手を使って、海草の入った袋を持ったり、袋から出てきてしまった海草を持って、土嚢袋に入れて、運ぶ、という手で握るという負荷のかかる作業が多かったせいか、午後には、なかなか力が入らなくなってしまいました。

 ケガをする前から力がない人間なので、腱断裂の影響というより、そもそも私にはきつかった、ということなのかもしれないのですが、ちょっと不安な日になりました。

 ボランティア活動には、女性もいれば、幅広い年齢層からも参加しており、事務局からもそれぞれのペースで無理しないでくださいと言われているので、ちょっと遠慮しながらペースダウンです。

 痛みとかバネ指もなく、疲れたな、ちょっとはっているかな、くらいで、特に悪くなることもなく、この日に限らず、すべての活動を終えることができました。