2011年12月21日水曜日

7月に周辺の掃除をした家は今?

今回、モビリア行きを決めた理由の一つは、7月にボランティアで行った時に、モビリアの近くの家の掃除をしたことがあったので、その家庭がどうなったのか、知ることが出来ないか?ということがありました。

 7月のボランティアのとき、私はリーダーだったのでその家の名前や連絡先などを書いた紙を預っていたのですが、ボランティア終了後、その紙は(個人情報保護ということで)返却していて、メモも控えなかったので、分からなくなっています。

 場所もなんとなくしか覚えていなくて、モビリアでお会いした数人には聞いてみたのですが、消息を知ることはできませんでした。


 18日の朝、ちょっと時間があったので、歩いて、その家を探しにいきました。高台のモビリアから下りていく道は、雪が少しだけ降り、とてもきれいでした。


 途中にはイオンも分店を出しています。移動販売車もありました。




 探していた家はすぐに見つかりました。割れていたと思う窓にガラスも入っていましたが、人の住む気配はありません。どこかの仮設住宅にいるのでしょう。結局、分からずじまいになってしまいました。残念です。

 その家の近くからの景色です。瓦礫の山がありました。



モビリアでの足湯

モビリアでの足湯は、12月16,17,18日の3日間でした。


 場所は、地元のスーパーMAIYAの出店(売店)の前の集会場です。


 集会場では、いろんなイベントが行われていて、例えば16日には「塗り絵」があったので、その合間や終わった後に足湯を楽しんでいただきました。





 最初、集会場の給湯器を足湯では使ってはいけないと思っていて、外でお湯を沸かしていました。甘酒を作ったりしていたので、台所が狭かったという事情もありました。



 
 でも、流石に12月の陸前高田市は寒いです。風が強い日もあります。

 18日、風が強くて、何度もコンロの火が消えて、給湯器を使わせていただきました。助かりました。

 足湯をしている様子(写真)は、陸前たがだ八起プロジェクトのブログ
をみてください。自分の横顔が写っていて・・・。

 また、恐らく近日中に、日本財団ROADプロジェクト ROADくんのホームページにも記載されると思います。
こっちの写真にも、私の横顔が・・・・。

「つぶやき」のメモを残すのをわすれてしまったので、つぶやきもそちらを参照したいです。

 3月11日の様子を今でも鮮明に思い出しながら話していただいたり、「塗り絵」で黒色を多用する女の子がいたり、まだまだあの日は深く残っているようでした。





黒崎仙峡温泉

黒崎仙峡温泉は、陸前高田市の広田半島の先の方にある温泉です。
http://www.kurosaki-onsen.com/



 モビリアからは、自動車で20分くらいということで、私たちも足湯の終わった後、12月17日(土)の夕方、行って来ました。
 無料の送迎バスもあり、とっても便利です。開館時間が午後8時までという点は注意。


 6月に、都民ボランティアで広田海水浴場の清掃作業をしたことがあり、この送迎バスで行く時に、夕暮れの薄暗がりの中、ぼんやりと、そのときに見た場所が見えました。広田小学校の校庭は、そのときは駐車場だったと思うのですが、現在は仮設住宅が建っていました。


 ところで、帰りのバスの運転手さんが、「数日前に会った陸前高田の人に、黒崎仙峡温泉に是非来てくださいと言ったら、『道路は復旧しているの?』と言われて、ショックを受けた」と言っていました。

 広田半島は、震災直後は、半島の付け根の小友町と、中間の広田小学校の付近と、2ヶ所で寸断されたようですが、かなり前に復旧しています。

 運転手さんは、道路は復旧しているし、温泉は営業している、という情報をどうやって伝えたらいいのかの困っていました。


 みんなで、黒崎仙峡温泉に行こう!

2011年12月20日火曜日

足湯ボランティア 陸前高田第1クール

2ヶ月ぶりのボランティアは、またまた足湯で、5ヶ月ぶりの陸前高田に行ってきました。

 陸前高田は関心が高いのか、最近は募集に苦労しているROAD足湯ボランティアにあって、第1クールは募集開始から一晩で定員5人が満杯になったそうです。

 参加者5人中、3人が男性、女性が2人。足湯ボランティアで、女性が少数派になったのは、私には初めてかな。足湯のリピーターは、私ともう一人の男性。被災地が初めてという人はいませんでした。


日程
12月15日(木) 日本財団ビル集合、簡単なガイダンス
          夜行高速バス[けせんライナー] 池袋 22:50発



 こんなバスでした。途中、サービスエリアやパーキングエリアに止まっても、運転手の交代や車両の点検だけで、乗客は外に出られないというのは初体験。トイレが社内にあるとはいえ、揺れるし、気分転換できないし、買い物ができないのが不自由だったかな。寝ている乗客を起こすとか、夜は暗いから、バスを間違えて戻ってこられない乗客がいるとか、何かトラブルが過去にあったのでしょうか?

12月16日(金) 陸前高田市役所仮庁舎前 6:28着
 陸前高田市役所は、津波で被災しているので、現在仮庁舎です。未だ朝早かったので薄暗く、良く分かりませんでしたが、こんなプレハブの庁舎でした。近くにお店も見当たらず、ちょっと不便です。写真に月のように見える白い丸は雪が舞っていたから。

 ここからタクシーで、宿泊兼活動場所のモビリアへ。20分くらいでした。途中、「がれき」(あまり好きな言葉ではないのですが、他に適当な言葉がないなぁ)はかなり整理されたと言う印象ですが、まだまだこれからです。

 タクシーの運転手さんも被災者で、途中「ここに家があった」と言われ、絶句してしまいました。

 こんな看板に導かれて、モビリア http://www5.ocn.ne.jp/~mob/index.html に到着です。

(この写真は18日に撮影したので雪がありますが16日はありませんでした)



 モビリアは、看板にあるように3月11日まではオートキャンプ場でしたが、高台の中腹にあり津波は届かなかったので、避難所を経て、今は仮設住宅になっています。


12月16日(金)~18日(日) 足湯

 この間は、いろんなイベントも開催されて、それらが地元のモビリア仮設住宅支援団体 陸前たがだ八起プロジェクトのブログに更新されています。


12月18日(日)  タクシー  モビリア 21:20発

 途中、サン・ビレッジ高田というかつて避難所になっていた体育館の脇を通ったら、観光バスが止まっていたり、とっても賑やかな雰囲気。タクシーの運転手に尋ねたら、サッカーのトヨタカップ決勝のパブリックビューで、サッカークラブの高校生などが招待されているそうでした。

          夜行高速バス[けせんライナー] 陸前高田市役所仮庁舎 21:51発

 仮庁舎の前でバスを待っている間、周辺に何もなく月もなく暗いため、星空が本当にきれいでした。天の川を見たのは、いつ以来か、思い出せなかった???流れ星も数回流れたし。

12月19日(月) 池袋 5:39着

          解散です。





2011年12月12日月曜日

この暮れに工場閉鎖告知とは

先週末、山口県の友人からメールがあって、「来年5月工場閉鎖、従業員全員解雇」とのこと。

 この工場、私が1986年から1991年まで働いたところなので、友人、知人が多少なりともいる。工場が閉鎖ということは、他の部門も縮小だろう。

 つらい年末になってしまう。

2011年11月27日日曜日

今でも、小指は少しずつ良くなっている

11月27日(日) 手術から1年と6ヶ月とちょっと

 とっても細かいことだけど、右手の小指、手術から1年半以上経つ今でも少しずつ良くなっているみたいです。

 最近気が付いたのですが、冷蔵庫の野菜室のドアを右手の小指一本では引っ張れなかったのができるようになりました。

 同じように、開けられなかった引き戸が右手の小指一本で開けられるようになりました。

 これまで、左手でできるのに、利き手の右手で出来なくて、とっても悔しかったし不便だったのが一歩前進。

 これからも、意識して、右手の小指を使っていきたいです。

2011年10月25日火曜日

七ヶ浜と亘理町でのつぶやき

足湯の目的の一つは、足湯に来ていただいた方のお話を聞くことです。そのお話をつぶやきと呼んでいるのですが、今回の例です。


・今回で津波は2回目。震災の直後は、ボランティアも少なく、自分で片付けたの。

・ボランティアは全国から来てくれる。ありがたいねぇ。昔は中高生も多かったけど、学校が始まって減ったね。

・震災の時は即行で逃げて無事だったけど、家に戻ったらみんな流されて何にもなかったの。

・津波で流されて、足や腰をあちこちぶつけて3ヶ月入院したの。病院で薬を間違えられて、湿疹ができてその痕がまだ残っているの。

この前の台風で、仮設住宅ももう少しで床上という浸水。まさか、仮設で水害にあうとは思わなかったわ。おまけに、屋根がトタンなので、雨音がうるさくて町内放送とか、外で何を言っているのか分からなくて、逃げるべきなのかどうかも分からなかった。

・お風呂が追い炊きできなくて、熱くしたい時は少しお湯を抜いて熱い湯を入れるんだけど、なんとかならないかしら。

・仕事で目が疲れているし、手も指も肩もこっている。


・この半年で体重が20kg減った。健康診断では何も言われなかったけど、運動不足かな。

・最近は運動不足で。震災直後はガソリンもなかったから歩いたけど、今は車だね。

・どこも悪くないけど、膝が痛いの。隣のおばあちゃんは耳が遠くて、玄関で呼んでも聞こえないの。

・私はおしゃべりが好きだから、こういうのは好き。

・今日は、パーマ・頭のマッサージと足湯で楽しかった。

・自分でも揉み解しをするが、他人にしてもらった方が効く気がする。

・ああ、人の手って気持ち良いね。「手当て」って言うものね。

・農家だけど、津波をかぶった畑にいろいろ植えたら、たくさんとれたの。野菜って強いのねぇ。ご近所さんにも配ったら、喜ばれたわ。

・衣食住、次は仕事ね。

6月と10月の七ヶ浜

わずか3日間の滞在でしたが、前回6月と今回10月とで、変わった点、変わってない点がありました。

 なんといっても大きく変わったのは、海岸です。

 6月の時には、砂浜が、どこからどうやってきたんだろうと思うような大きなコンテナとゴミに埋め尽くされていました。

  ニュースでもやっていましたが、コンテナが片付けられて、ゴミもほとんどなくなっていました。
 海中さえ問題なければ、来年は泳げそうです。

 また、気になっていたのは、きずな館の南側の仮設住宅の間を下りたところで、傷ついた動物を保護していた家があって、そこで話を聞いたら6月末で出て行かなければならないと言っていたことでした。そこには、トビやハクビシンに加えてなんとニホンカモシカまでいました。




この家のあったところは、復旧工事の関係企業なのか、駐車場になっていました。

 気になったので帰宅後検索すると、仙台の方に引き取られたようですが、詳細は分かりません。


 あまり変わっていないのは、田んぼの様子です。

6月

10月

 「海と風と町と みやぎの思い出写真集 3.11津波で失われた宮城の風景」を見ると、このあたりはきれいな水田だったようです。いつになったら復活するのでしょう?涙がでます。

足湯ボランティア七ヶ浜第8クール

今回のボランティア、特に場所にこだわりはなく、ROAD事務局に「参加者が少なくて困っているものがあったら紹介して」と尋ねて教えられたものでした。

 七ヶ浜は、6月にも行っていたので4ヶ月経って、変わったのかどうかとか興味はあったので、そのまま申し込みました。http://gore21.blogspot.com/2011/06/1.html



 ROADプロジェクト足湯ボランティア七ヶ浜第8クールは、こんな感じです。

10月15日(土) 高速バスで東京から仙台へ、
          仙石線で下馬、
          さらにタクシーできずな館

10月16日(日) 足湯
           午前:あさひ園(お祭りをしていました)


餅つきもしていました。ご馳走になったけど、つきたてはやっぱり美味しいです。 

 美味しそうな焼き鳥。こっちは食べ損ないました。

足湯の様子

 後ろでは、生演奏

           午後:第1スポーツ広場 仮設住宅 集会場


写真は、ここまでです。

10月17日(月) 足湯:宮城県亘理町公共ゾーン仮設住宅 第1集会場

10月18日(火) 足湯
           午前:七ヶ浜ボランティアセンター(主にスタッフを対象に)
           午後:きずな館1階喫茶コーナー

          夕方:タクシーで多賀城、さらに仙石線で仙台へ。
              自由時間
          夜:夜行バスで東京へ

10月19日(水) 朝:東京着

2011年10月21日金曜日

久しぶりのボランティア

10月21日(金)

 10月15日(土)から10月19日(水)まで、宮城県七ヶ浜にROADプロジェクト足湯ボランティア七ヶ浜第8クールとして行ってきました。

 8月の郡山以来のボランティアです。

 これまで、ROAD足湯と都民ボランティアと交互に行っていたけれど、都民ボランティアが7月でなくなってしまい、代わりの適当なものが見つからず、ちょっと間が空いて、足湯が続くことになってしまいました。


 私自身のボランティアの頻度も段々低下しているので、えらそうなことはいえないけれど、ボランティアの数はかなり減っているようです。

 今回の七ヶ浜第8クールは、8人募集に対して3人しか集まりませんでした。

 七ヶ浜で同宿した名古屋のグループは、20人募集でなんと二人でした。

 足湯に限らず、まだまだボランティアがすることはあります。

 みんな、ボランティアに行きましょう!

やっぱり長袖は苦労する

10月21日(金)

 10月も後半になり、めっきり涼しくなりました。

 寒くなってきて長袖を着て、さらに重ね着をするようになったら、去年10月に書いた重ね着の苦労を思い出しました。http://gore21.blogspot.com/2010_10_01_archive.html

 私の右手、手相で言うところの感情線の手前に小指をつけたまま握るということが今年の8月頃から出来るようになって、かなり元に戻ったと思っていたのですが、まだまだ左手に追いつきません。

 もっともっと柔軟とかをしなければ!

2011年9月14日水曜日

頑張れ!丸山桂里奈

サッカー女子、日本代表、なでしこジャパンの丸山選手が、ロンドン五輪アジア最終予選で、右膝前十字靱帯(じんたい)損傷の重症を負ってしまいました。

 報道によれば、早期復帰を目指して手術を決断ということですが、その手術は、「太もも裏などから移植腱を取り出し、膝に入れる再建手術になる見通し」とのこと。

 私が良く行くスポーツクラブのトレーナーで、手術前に相談した人の手術と似ているようです。
 http://gore21.blogspot.com/2010/05/blog-post_6533.html

 来年のオリンピック出場、なかなか厳しくなってしまいましたが、手術、リハビリと頑張って、諦めずに、オリンピックを目指して欲しいです。

 丸山はブログもあるのでフォローできるし、みんなで応援しよう!

2011年8月20日土曜日

郡山での足湯

今回は、5泊6日のうち、初日はガイダンスと移動でしたが、残り5日間みっちり足湯をしてきました。また、避難所に宿泊したこともあり、避難者の方々と接点も多く、繰り返し足湯に来てくださる方もいらっしゃり、かなり親しくなることができました。


 足湯のときだけだけではないですが、避難している方から聞いたことで思い出せるものを少し紹介します。(ここに避難してきている人は、基本的には原子力発電所の事故の影響です)

・地震の翌日、消防車が「避難してください」と繰り返していたから、すぐ帰れるとピクニック気分で弁当と簡単な手荷物だけ持って逃げたら、こんなことになって・・・。

・車に荷物を載せて、何の当てもなく茨城に逃げた。そのとき、茨城の人には本当に優しくしてもらった。

・子供たちにも分けようと思って、近所の農家からたくさんお米を買ってたんだけど、分ける前にこんなことになって、家に置きっぱなしで避難して。食べられるのか、どう処分したら良いのか?


・最初、ビッグパレットの3階に住んだけど、雨漏りがして酷い目にあった。

・3階の窓の近くに住んでいて、朝3時頃から明るくなって目が覚める。そんで、いろんなことを考えるんだ。

・仮設住宅は暑くって。エアコンをつけると風が当たって、関節が痛くなるので使いたくない。

・仮設住宅の周りは、道が悪くって歩きにくい。

・ここにくると、友達に会えるのでよく来るんだ。

・震災前に住んでいた所は、風が涼しかったし、水が美味しかった。

・前に住んでいたところに住めるようになっても、仕事がないから帰らない。戻れるのは、仕事の心配のない人だけ。

・テレビに勝手に撮られて放送されて・・・。

・こっちの気持ちが落ち込んでいる時に、「ふるさと」とか悲しい歌を聞かせないで欲しい。人の気持ちが分からないんだから。

・今、80歳で、まだ自分のことを自分で出来るけど、もう2-3年経ったら、どうなることやら。

・病気になっても、医者には行きたくない。避難者はタダといわれても、無料じゃ、ちゃんと見てもらえない気がする。

・僕、病気持ってるんだ。ここに来てから、過呼吸とヒステリーと。

・わざわざ遠くから来てくれて、ありがとう。

・先週、新潟で豪雨の被害があったから、ボランティアに行ってきた。





あさか野夏まつり 花火大会

ちょうど滞在中の8月14日(日)、郡山カルチャーパークで花火大会が行われました。

 震災でかなり厳しい状況だったと思いますが、約1万発の花火が打ち上げられたそうです。

 ビッグパレットから会場までバス(有料)が出たので、私たちも見に行きました。

 ちょっと挨拶などの前ふりが長かったのが玉に瑕でしたが、いろいろな思いがこもっていて花火は良かったです。

 コンパクトデジカメの動画ですが、雰囲気は伝わると期待してアップします。

 最初の3つは、ファイルが大きかったからかアップロードできなかったのでYouTubeです。

 





 これもYouTubeで追加しました。(元は、直接このブログにアップロードしていました)


最後に、一つ直接アップロード。
元々は、1番目の動画で、他と比べて音が少し悪いので最後にしました。

ビッグパレットふくしま

今回のボランティアでは、宿泊先として、また足湯を行う場所として、福島県郡山市の「ビッグパレットふくしま(略称 ビッグパレット)」にお世話になりました。


 ビッグパレットは、元々は会議や展示用の施設ということで、東京周辺では「東京ビッグサイト」や「幕張メッセ」のようなものでしょうか。しかし、3月11日の東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、主として、富岡町、川内村からの人たちの避難所になっています。ピーク時には2500人くらいいたようですが、現在は150人程度ということです。

 この写真は、Bホールのものですが、廊下などには段ボールで囲まれた場所で生活する人たちもまだいます。

 また、Cホールは、行政機関やボランティアセンター、東京電力などの窓口があります。


   
 私たちボランティアは、このCホールの一角のパーティションで区切られた会議スペースにマットを敷いて寝ました。

 BホールとCホールの天井は、震災で壊れていて、こんな感じです。
 昨日(19日)、郡山で震度4の地震がありましたが、かなり怖かったと思います。

 やはり郡山ということで、こういう電光掲示板もあります。

 
 建屋の外には、自衛隊のお風呂があり午後3時から9時まで、この避難所や近くの仮設住宅の入居者、また私たちボランティアも入浴できます。大きな浴槽に湯がたっぷり、入浴後にはお菓子や冷たい飲み物もあるので、とっても心地良いです。


 こんなビッグパレットの避難所ですが、8月末で閉鎖が決まりました。

 福島県は、農業だけでなく様々な産業に大きなダメージを受けていて、雇用対策としても、ビッグパレットを本来の会議や展示場として早く使いたいという気持ちがあるだろうことは理解できます。しかし、一方で、ビッグパレットは、単に避難者が寝泊りしているだけでなく、仮設住宅などに引っ越して行った人たちが集い友人とくつろぎ情報交換をする場所になっていただけに、閉鎖後が心配です。

2011年8月19日金曜日

足湯ボランティアで郡山に行って来ました!

少し間が空きましたが、8月12日(金)から17日(水)まで福島県郡山市のビッグパレットに、日本財団ROADプロジェクト 足湯ボランティア 郡山第6クールとして行って来ました。5回目のボランティアになります。

 夏の間は、学生や社会人の夏休みでボランティアも集まりやすいだろうから、私はボランティアを休むつもりでいたのですが、郡山は集まりにくかったみたいだったし、いつかは行きたいと思っていたので、参加しました。

2011年8月7日日曜日

カルガモ

 筋トレをする体育館に向かう途中の石神井川に鴨がいます。鳥のこと、詳しくないから良く分からないけど、多分、カルガモ。

 今まで気が付かなかったのですが、今年2回、ヒナをみたので、写真を撮ろうとカメラを持っていったら、羽が散乱していました。羽の色からすると、鳩でしょうか?こういうのも、ここでは初めて見たと思う。

 それにしても、ヒナはどこに行ったのでしょう?


2011年8月2日火曜日

腱のことも忘れてはいません

8月2日(火) 腱断裂から明日で1年と3ヶ月

 このブログ、最近は腱関連では変化もほとんどなくて、腱のこと、あまり書いてないけど、腱を切った右手と切ってない左手と、やっぱり違うので、毎日意識しています。忘れてはいません。ということで、たまには、どんな状況か、お知らせします。

 ボランティアに何回か行ったくらいで、日常生活には不自由していないのですが、先週、右手の前腕の小指の屈筋腱につながっていそうなところが少しだけ痛い時がありました。今は大丈夫なんだけど、ストレッチとかのやりすぎかな?

 握力を測ったのは5月が最後http://gore21.blogspot.com/2011/05/blog-post.htmlで今の数字は分からないけど、洗濯ばさみを握った感じでは、右手の小指は左手より弱くて、そのとなりの薬指もまだちょっと右手が弱い気がする。でも、人差し指、中指は、利き手の右手が強いと思う。


 野球の松坂大輔が肘の靭帯の手術をして、1ヶ月で可動域が戻ったというのはすごいです。もちろん、指と肘の違いは大きいのだろうけど、痛そうなリハビリのニュースを見るとやっぱり親近感を感じる。早く現役復帰して欲しいです。

2011年7月13日水曜日

都民ボランティア 16期 その5

7月8日(金)

 気仙沼の大きな避難所で、支援物資の仕分け作業でした。これは、都民ボランティアが継続して行っている作業です。

 今日は、中古の男物で、冬物というか、厚手の上着類をサイズ別に分けて、段ボール箱に詰め直すというものでした。

 中古と言うことで、かなり痛んだものが含まれていて、被災者サイドからは言いにくいでしょうが、如何なものかと思うようなものも数多いです。この冬、これを喜んで受け取る人たちがいるのかなぁ?冬までには、そんな人たちがいないような状況まで改善して欲しいなぁ!今の日本の政治家には無理か!


7月9日(土)

 今日は、なんと炊き出しでした。事前のアナウンスでは、各班とも陸前高田が3回になるように調整するということだったので、私たちはこの日陸前高田になれば3回だったので陸前高田になると思い込んでいて、虚をつかれました(炊き出しは陸前高田ではないので)。

 場所は、6月1日と同じ一関市内の避難所。避難されている人数が40名くらいだったのが、少し減ったみたいでした。窓口の女性は変わらず元気でした!

 今夜は近くでお祭りがあるということで、しかも暑かったので、カレーライスとサラダというリクエストをいただき、それにワカメスープ、大学イモ、大根の梅和えを加えました。

 都民ボランティアの炊き出しで欲求不満になるのは、料理を作って、避難所の代表の方にお渡しして終わりで、実際に食べていただく前に私たちは帰ってしまうので、フィードバックとか交流がないのです。美味しかったのか、喜んで食べていただいているのか???

7月10日(日)

 最終日、東京に移動です。

 出発前の10時頃地震があり、沿岸部に津波注意報が発令。気仙沼市大島に宿泊して活動していた仲間がいたので心配だったのですが、フェリーで気仙沼に渡って一関に向けて出発した後だったので問題なし。

 全員、無事に東京に着きました。

都庁での解散式


 梅雨だし、7月だし、私がリーダーだし、と不安要素の多い都民ボランティア16期でしたが、みんなの協力があって、無事に終わって良かったです。ほっとしました。

 都民ボランティアは、とりあえず17期で一旦休止ということで、都民ボランティアのホームページに募集のかけらもありません。16期の途中での説明では、都民ボランティアを始めた4月上旬とは被災地の状況も大きく変わり、個人でも様々な団体でも被災地でボランティア活動を行うようになり、都民ボランティアを一旦休止するものの、被災地からのニーズは依然として高いので、再開するか、再開するとしたらどういう内容かを検討したい、というようなことでした。
 ボランティアのする仕事はまだまだいーっぱいあると思うので、見直すべき点は見直して、パワーアップして再開して欲しいと思います。

都民ボランティア 16期 その4

7月7日(木)

 今日は、陸前高田市の個人宅で、当初は、側溝の泥上げということだったのですが、北海道のある企業が新入社員の研修と言うことで7名で来ていて、彼らが側溝を担当し、私たちは道路上に堆積した土砂の除去でした。

 この企業の人たち、新入社員研修ということで「どうやったら効率的か、考えながらやれ」という指示が出ていて、その上、若いので、非常にパワフルで仕事がとても速いのです。

 私たちの分も手伝っていただき、今日の作業も順調に完了しました。

 私たちは、そこで引き上げたのですが、後で聞くと、彼らは近隣の田んぼの瓦礫除去を行ったということです。すごいです。


 また、依頼主のご家族3名、避難生活がもうすぐ4ヶ月でとても疲れているという印象でした。

都民ボランティア 16期 その3

7月6日(水)

 今日は、気仙沼の個人宅の清掃作業でした。

 建屋は、壊すか、修理するかを迷っていたということで、ほとんど手付かず、入り口付近を除いて、足の踏み場もない状態でした。

 庭にたまった泥や瓦礫の除去をしたのですが、こちらはボランティアが入って3日目で、ほぼ完了することができました。


 ここで、またトラブルです。

 依頼主の方が、とても寂しそうで、私たちボランティアと話をしたがるのです。私は、「被災者に寄り添う」のがボランティアの務めと思っているので、そのまま話を聞こうとしたのですが、班員の中には、依頼された作業が終わったのだから帰ろうという者もいました。

 こういう調整はリーダーの役割なのでしょうが、難しかったです。


 また、トラブルではないのですが、この家には、べっこう亀の剥製が飾られていました。津波も少しかぶっていて汚れていたのですが、立派なものでした。どうするのか伺うと廃棄ということでもったいないと思ったのですが、もらうこともできず・・・。
べっこうの剥製
(手持ちの写真で、この被災家庭とは別のものです)

都民ボランティア 16期 その2

7月5日(火)

 今日は陸前高田市の某コミュニティセンターの倉庫の清掃作業でした。

 ちょっとした高台の上にあって、ここまで津波が来たとは信じられません。マピオンで見ると、標高14-20mくらいです。でも、津波をかぶってしまい、本館も倉庫も、汚れてしまいました。

 本館は、すでに何回かボランティアなどの人手が入って、きれいになっていて、倉庫が手付かずだったので、その清掃作業でした。

 中身を出して、使えるものはきれいにし、駄目なものは廃棄、その作業と平行して、倉庫の掃除も。

 私たち都民ボランティア9名と中国系の人たち5名の計14名で作業を行ったので、順調に終わりました。

都民ボランティア 16期

 都民ボランティアの16期に参加してきました。10期に続いて2回目です。 http://gore21.blogspot.com/2011/06/blog-post.html

 期間は、7月4日(月)から10日(日)まででした。

7月4日(月) 都庁前を出発し、岩手県一関市室根の拠点(宿泊先、資材倉庫)にバスで移動


都庁前からバスで出発


 前回同様、全体の参加者80名くらいで、4から5名の班に分かれます。
 その班から1名、リーダー(連絡係)という職責の曖昧な人間を一人選ぶのですが、私たちの班では、5名中3名が災害ボランティアが初めて、残りの一人もリーダーはやりたくなさそうだったので、私がリーダーということになりました。


 さて、現地について、早速トラブル発生です。

 宿泊先が3箇所あるのですが、最初に割り当てられたところが人数の割りに狭いということで、多少余裕のある別の拠点に、夜の10時頃、私たちの班のみ移動となりました。私にとっては、移動先が前回と同じ場所だったので、勝手が分かっていて問題なしでしたが、他の人たちは少し大変だったかもしれません。

 2日目以降は、また別に・・・。