2012年3月29日木曜日

開花直前

東京では、桜が開花直前です。




梅?は、満開。

2012年3月28日水曜日

また地震

この3・4月に、昔、私が勤めていた会社の同期の人事異動があって、昨夜はその歓送迎会兼同期会があり、私も参加していました。


 それで、全然気がついていなかったけど、今朝、ネットをみていたら、昨夜8時過ぎに東北地方でかなり大きな地震があったのですね。幸い、被害はなかったようで良かったです。

 まだまだ油断できない、というか、日本列島は地殻・地震の活動期に入ったというような話も聞いたし、準備が怠れません。

 といっても、昨日の宴会にも懐中電灯を持参したくらい・・・(笑)。
 笑っている場合ではないが・・・。

2012年3月26日月曜日

がんばれ、川口能活!

3月22日に元?サッカー日本代表ゴールキーパーの川口能活選手が、アキレス腱断裂のケガをしたようです。

運動選手は、腱やじん帯の故障が多いですね。

全治6か月と報道されていますが、長いです。リハビリを入れると、もっとかかるんでしょう。頑張ってほしいです。

2012年3月24日土曜日

宝くじ、震災、そしてブラック・スワン

昨日、宝くじの当選番号の発表がありました。

その宝くじが「東日本大震災復興支援グリーンジャンボ」というのは、なんとも皮肉です。

宝くじって、当たる確率がものすごく小さい方に賭けるギャンブル。

一方、震災、津波、それに付随した原発事故は、遭遇する確率はものすごく小さい事象で、多くの人たちがないほうに賭けてきた。

確率が小さい点では同じなのに、利益が出る方に賭けることは大人気、損が出る方には、目をつむる、私も含めて、人間の悲しい性です。


これだけだと、全然つまらないので、写真が貼れるネタということで、ブラックスワン(黒鳥、コクチョウ)を持ってきました。




「ブラック・スワン」(









テレビでも放送されたので、多くの人が見に行きました。




コクチョウが移動するとギャラリーも移動です。

ここまでが2010年1月7日、ここから1月 25日です。その後、いつの間にかいなくなってしまいました。ネットで検索したけど、よく分からず。どうしているのかなぁ。


2012年3月23日金曜日

鵜住居川

鵜住居の中心を流れる鵜住居川は、とてもきれいな清流で、上流までダムがなく、秋には鮭の遡上も見られるそうです。

これは、橋野付近の支流かな(もう1ヶ月近く前で分からなくなってしまいました。残念)。こんな上流でも魚道がありますね。
(2月27日)
(上流側)
 
(下流側)




こっちは、多分、NPO法人ねおすの拠点のある栗林の橋の上から。

(2月28日)
 (上流側)
(下流側)


2012年3月21日水曜日

橋野高炉跡

震災後の復興には地域の活性化が重要ということで、アドバイスに来ていただいた方と一緒にいろいろなものを見る機会がありました。

 その一つが、橋野高炉跡ですが、降雪直後で雪のためにここまででした。

(2月27日)

2012年3月20日火曜日

渋谷で友人と就職祝い

昨日は、友人の親戚の若者が、無事に学校を卒業し、4月から就職。やったー!

 ということで、その卒業・就職祝いを渋谷で。

 (昨日のブログの「ポッキー一本」との違いはナンなんでしょう?)

 東京 渋谷のトゥッカーノ(TUCANO'S)というブラジル料理のお店で、2年前に行ったときにはサッカーのFC東京の選手も来ていました。

 普通は、サンバショーは水木曜日ということですが、昨日はなぜかやってくれたので、ちょこっと動画を撮影。


 最近、地震が多くて怖いので、懐中電灯を持っていったが、役に立たなくてよかった。

2012年3月19日月曜日

ポッキー一本

釜石市滞在中に聞いたお話の中で、今でも覚えていることの一つは、食事がポッキー一本だけだったこともあるということでした。当然、水もほとんどなかったようです。

他には、時間の感覚がなくなって、何日のことだったのか、いつだったのかが思い出せないそうでした。

また、繰り返し「世の中、どうなっちゃうんだろう、と思った」とおっしゃった方がいたのも記憶に残っています。

2012年3月18日日曜日

箱崎

宝来館の女将さんに「少し時間がある時にボランティアに見て欲しい所は?」と聞いて、紹介された箱崎から仮宿に3月3日(土)行ってきました。


 まず、箱崎、雪に覆われて分かりにくかったですが、ここも酷いです。


 仮宿は、かなり奥まったひなびた漁港でした。
http://www.pref.iwate.jp/~hp0563/contents/gyokouichiran/gyokou/1310600kariyado.html
  道路の下は、崩れたまま放置。

 分かりにくいですが、海沿いは、やはり基礎が残るのみ。
  振り返って、海に向かう斜面に立つ家も・・・。

 仮宿に行く途中のトンネル内には、巨大な氷柱が。

 箱崎や仮宿の人たちと話しは出来なかったので推測にすぎないのですが、震災当時、鵜住居が壊滅、その先、ここまでも(現在でも)お店はなかったので、完全に孤立、恐怖や寒さと戦いながら厳しい日々を過ごしたのでしょう。

2012年3月15日木曜日

鵜住居の堤防は今

昨日、3月14日、東北から北海道にかけて地震があり、津波注意報が出ました。

それで、心配になるのが、東日本大震災(の津波)で、多くの堤防が破壊され、津波に対する抵抗力が著しく低下していることです。

行ってきたばかりの釜石市鵜住居が、やはり気になるし、直近の様子が分かるので、書いてみます。

まず、例によって、震災前後の航空写真を並べます。

震災前の航空写真(ヤフー地図より)

震災後の航空写真(グーグル地図より)

釜石にいたときに、宝来館の人などから、この砂浜も堤防も向こう側までつながっていたと聞いていたのですが、跡形もなかったので、理解できていませんでした。この2つの写真を比べてみて・・・。 

砂浜がなくなり堤防も破壊され、仮設の堤防のラインもあるなどあまりに変わってしまって、しかも、グーグルの写真の上下の幅が狭くてカットされていて分かりにくいので、震災後の写真を上と下とに分けて、掲載します。


元々は、つながっていた堤防が大きく切れてしまったのが分かるような、かえって分かりにくくなったかな。

上の方を拡大してみます。

 震災前の航空写真(ヤフー地図より)

震災後の航空写真(グーグル地図より)

この部分、地上から写真を撮りました(3月3日)。

下の写真が堤防の残っている部分ですが、左手のほうで堤防はありません。

 上の写真の中央部を拡大し、堤防の切れ目の奥を見てみると、傾いた船の奥に仮設の土嚢を積んだような堤防があることが分かります。


 結果として、昨日の津波で被害は出なかったようですが、どういう堤防を作るかもなかなか決まらないようだし、その間に大きな津波が来ないことを願うばかりです。

2012年3月14日水曜日

ボランティアさん、ありがとう!

私が書くのも変な気がするけど、先日のボランティアで、もっとも印象深かったことの一つなのとで、書くことにしました。

 初日、釜石駅から現地に向かう路線バスに乗っていたとき、席を譲っていただきました。そのときは、私も歳をとったなぁ、そんなに疲れて見えたのかなぁ、と思っていたのですが、大きな荷物を持った私を見てボランティアと考え、感謝の気持ちから席を譲っていただけたのかな、という気がします。

 また帰り、バス停でバスを待っている時に、散歩をしていた人に「ボランティアさん、ありがとう。私たち、本当にこれまでボランティアの人たちに助けられました」と涙目で話しかけられました。

 どちらの方も、私の活動の対象となった方ではないはずなので、これまでのボランティアの方たちへの感謝の気持ちでしょう。(その人たちに、このブログを読んでいただけたら、と思います)

失敗は、許されないか?

こういう議論は、結論が出ていると思っていたが、最近会った今度4月に公職に就職するという学生が、失敗・ミスが許されない仕事、と繰り返し、言っていた。先輩から、言われたのかな?今でも、こう思っている人のいることが残念だし、心配だ。

このブログに、あまりこういうことは書かないできたが、3月11日の前後に、震災と原発事故関連の報道を見ていて、書かずにはいられなくなってしまった。



失敗が許されないなら、失敗したら本来解雇または辞職だろうけれど、そうはできない。そこで、失敗はゼロということにしようとする。ところが、人間に失敗・ミスはつき物で、ほとんどの場合、ゼロに出来ない。


ゼロにしようと思ったとき、どうするか。


失敗するかもしれない、難しいことをしない。

失敗の定義を厳しくして、外部からは失敗とみなされることを失敗と認めない。

失敗を隠す。

ゼロに近づける、つまり発生確率を下げる対策なら具体的に実施できる場合でも、発生確率を下げるような対策は対策と認められず、ゼロにするという条件が厳しすぎて、コストもかかる具体的な対策ではなく、精神論だけになってしまう等、対策が何も実施されず現状が放置される。

原発の安全神話のように、「あってはならない」ことがいつの間にか「起こらないこと」になってしまい、なにも対策をしない。

そもそも起こらない、ということで、起こったときの被害を小さくする対策もしない。

失敗がないので、失敗から学ぼうともしない。


ちょっと考えても、ろくなことにならない。

2012年3月12日月曜日

絆 不死鳥!

この1週間、震災関連の報道が続きました。見てて思ったのが、現地の人の声の力強さでした。そこで、今回は、そういう現地の人で、まだこのブログに登場していない方を紹介します。

 鵜住居でおすし屋さんをしていて、被災したそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/taiji49724

 こんなステッカーをつくっちゃいました。
(大きさは1枚 16.5cm x 3.5cm くらい)
(5枚組で500円)
(う~の!はまなす商店街や宝来館などで販売中)

 横断幕まで!

 これは、う~の!はまなす商店街に掲げられたもの。

 とっても元気な方でした。

2012年3月11日日曜日

鵜住居の震災前後の航空写真

ヤフーの地図の航空写真が震災前のものなので、鵜住居の震災前の航空写真としてヤフーのもの、震災後の航空写真としてグーグル地図の航空写真を並べます。

月日がわからないのが残念ですが、ヤフーの震災前の写真は貴重なので、いつまでも残してほしいです。

鵜住居 震災前(ヤフー地図より)

鵜住居 震災後(グーグル地図より)





 
また、ヤフーの「東日本大震災 写真保存プロジェクト」
の地図では、震災前と震災後の航空写真が用意されています。

もちろん、普通の写真や動画も震災前後のものが投稿されています。


 さらに、国土地理院のホームページにも、
平成23年(2011年)東日本大震災に関する情報提供
http://www.gsi.go.jp/BOUSAI/h23_tohoku.html
というページがあって、航空写真などが提供されています。




2012年3月10日土曜日

宝来館前の風景

今日は、テレビで震災関連の番組が多くて、やろうと思っていることに手がつかなくていけません。


ボランティア中にも、被災地の現状を伝えてください、とは、何回か言われたので、もう少し、現地で撮ってきた写真をアップします。(私がボランティアを始めた頃は、被災地で写真は撮るな、と言われたので、随分、変わりました)

宝来館前の松林は、奇跡的に残っています。

この写真の中央下の碑には、こんな文章が書かれています。



  砂浜も、震災直後はほとんど流されてなかったそうですが、ここまで戻ってきました。


宝来館の南東にあるレストハウスは、傾いた無残な姿をそのままにしています。

おらが大槌 復興食堂

2月29日(水) 昼食に大槌町のおらが大槌 復興食堂に行ってきました。




 私は、おらが丼、鮭といくらの魚版の親子丼800円。とっても、美味しかったです。


 復興食堂の周囲は、こんなです。復興の言葉が悲しい・・・。




動画で一周してみました。


 復興食堂の隣の資料館にあった震災前の写真です。こんなに家があった。